生と死って大差ないと思ってたの。「わたし」が存在しているかしていないかなんてそこまでの違いはなくて、「わたし」の存在は少なくとも確実なんだからどっちでもいいのでは?とか思ってた。
でも違うのね、わたしはこれから美しいものや正しいものとかそうじゃないものを色々見て判断しなきゃ。で、色々と考えないといけない。そのために生きる。生とは何かを判断するために考える。
生きる理由ってそんなもんでいいよね。知識欲。
人間特に日本人てキャラ付けしたがるじゃん?で、そのキャラから外れたことをすると「え、お前ってそういうひとだっけ」とか白い目で見られたりして。ヤンキーが信号守っただけで「偉いわあ」とか言われるし。それって人間が分類学という学問を生み出したことと根本は同じなのではと思うよね。
人間って正体がわからないものが怖いんだよ。ガサッ→なんか物音がする…怖い…なんだろう…→猫でした 可愛い〜〜
とかよくある話。UFOもUMAも未確認だから怖いわけでそれがなんだか知ったら大して怖くはないのだよ。
人間は脆弱な生き物だから知識をつけることで生き延びてきた。もはや知識欲は本能なのね。だからそういう風によくわからないものは敬遠したい。ミステリアスなひとってハブられたりするじゃん?そういうことじゃねって思うわけよ。
でもそろそろがむしゃらに知識をつけるだけじゃだめなんじゃないのってこと。もうそろそろ種としてまとまってきたし、じゃあ次の段階へ移行しましょうよ。
乱獲して調べ尽くして絶滅しちゃいました〜
工場制すごいから大量に作りました!空気は汚れたけど!
じゃだめじゃん??分類はもうこれくらいにして、節度を持って、次は尊重する時代。ね?
いや何言ってるんだろ偉そう面白いははは