寝そべった竜の首のように、低く長い尾根が幾筋か伸びていた。先ほどまで遠くに見えていた入道雲が、今や目前に迫り、空を厚く覆っている。所々の隙間から覗く青が眩しい。線路沿いの蔦の緑は濃い。涼しい列車の窓から外を眺めている分には、まだまだ夏が続いていきそうにも思えるが、実際外に出てみると初秋を感じる風が吹き始めているのである。
八月ももう終わる。
夏が好きな私にとっては、ほんの少し切ない。
今月の初め、恋人と共に熱海を訪れたときには、夏は永久に続くかのように感じたのだった。一人で踊り子号に乗り下田を目指している今からすると、途方もない大昔のことのように思える。あのときも、今日のような曇天であった。それにもかかわらず明るい景色の記憶しかないのは、感情による記憶の修正能力のせいだろうか。鈍色の相模灘は優しく凪いで雲の隙間の仄かな陽光に鏡面の如く煌めき、 來宮神社の御神木はすこし湿ってむしろ程よい温もりを湛えていた。夜には雲が綺麗に去って、真黒の空には大きな花火が咲いていた。私のすぐ横には人肌があった。
小雨が降り始めた。列島に近づきつつあると報じられている、台風のせいなのかもしれない。次の駅は熱海だと伝えるアナウンスが流れた。このまま降りてしまいたかった。
今月は、デュマ・フィスの椿姫を読み返し、西崎憲の本の幽霊を読み、ソラリスを読んだ。本の幽霊は、今年の初めの京都旅行で装丁に一目惚れして買ったものだ。内容どころか作者すら知らないまま手に取ったので、中を読むのが楽しみで、楽しみなあまりずっとずっと寝かせていた。せっかく旅先で買ったのだから旅先で読みたくて、福岡旅行の行きの飛行機の中で読み終わった。少し不思議な短編集で、三崎亜記や一條次郎作品が好きな私にとってはどれも楽しく、一瞬で読み終わってしまった。冬の話がいくつか収められていて、本を閉じたときには少し寒気を覚えた。あるいは機内の空調が効きすぎていただけかもしれないが。
今月観た映画はプライドと偏見、オデッセイの二本だけ。映画の方はどちらも明るく前を向ける作品で、悪くはなかった。特にオデッセイは、インターステラーと同じくらい好きだと思った。スリルと勇気と人間への喜びとをちょうどよく味わうことができる。ハリウッド映画らしい映画といえよう。
伊東に着いた。左側の車窓からは、水銀のような海が目に入る。下田まではまだ遠い。駅には色褪せた紅の百日紅が咲いていた。
長いトンネルと山間の町並みとを幾度か通り過ぎる。雨は降ったり止んだりしている。右手の山々は霧に巻かれてどこか厳かな雰囲気すらある。竹や松のあいだに椰子か棕櫚のような南国風の葉が見えて、伊豆らしさを感じる。
トンネルを抜け、再び左手に目をやると、海の方は青く晴れ上がり、空には白くご機嫌な綿雲がふわふわと浮かび、遥かに見える白波が束の間リゾート気分を味わわせた。と、またもやトンネル。
伊豆高原の付近には別荘と思しき家々が軒を連ねている。羨ましいものである。そのうちの一軒の生垣に咲いていた、紫がかった濃紺の朝顔が眩しい。
伊豆熱川に着く頃には、まっすぐな陽の光が車内に差し込むほどの晴天となっていた。トンネルを抜けるのが待ち遠しかった。外には夏が満ちていた。湯けむりの向こうに望む海は、なんとも贅沢なものだ。
湯けむりといえば、先日の福岡旅行で訪れた二日市も湯ざわりの良い温泉だった。とろっと肌に吸い付くようなお湯は少し熱くて、体の強張りが緩むのを感じた。冷房のよく効いた和室で、既に敷かれていた布団のピンと張った真白なシーツに体を横たえる。気がつけば朝だった。食堂で朝食を取る。味噌汁、焼き魚、明太子、湯豆腐、漬物数種、サラダ、味のり、ご飯はおかわり自由。くちくなった腹をさすりながら旅館を少し探索してみると、白くまの剥製や大きな壺、昭和に取り残されたかのようなアーケードゲームなどが見つかり、大満足である。庭の錦鯉を眺めているうちに、もうチェックアウトの時間になっていたのだった。
ふと気がつくと、海の真横を走っていた。見渡す限りの海である。水平線が視界の端から端までを覆っている。空と海の青が混じり合い、雲と波の白が眩しく、全身が青と白の中に溶けていくような気すらした。漁港のある町並みが見えてくる。そこかしこに少し錆びた看板が見える。磯料理。赤尾ホテル。金目鯛。田村丸。伊豆稲取に着いた。
河津は住宅街といった感じだった。確か桜が有名な町だったように思う。次は春にでも来てみようかしらん。
あっという間に下田である。右手にはとんがり帽子のような山。無限に続くと思われた往路も、着いてみれば一瞬のことだった。空はまた雲が厚みを増してきたようだったが、不思議と、暗い気持ちにはならなかった。晴天と海のコントラストを眺めることができたからだろうか。つくづく私は簡単な心の持ち主であると思う。案外悪くない一人旅であった。が、次はプライベートで、できることならデートなどのために、踊り子号に乗りたいものだ。