匿名

日記

哀れなるものたちを観た

今さらながらまとめてみた

(ネタバレあり)



 

 

 

 

 


あらすじは次のようなものだ。

19世紀末〜20世紀初頭を彷彿とさせるイギリスで、身投げして自殺した妊婦の腹から取り出した胎児の脳を妊婦に移植し、彼女をベラと名付けその知的能力の向上・進歩を観察する話。移植した外科医は彼女からGodと呼ばれ、父かのように慕われ、ある種創造主でもあることが示唆される。さらに、この世界においてはキリスト教的な価値観が「良識」であるとも明示される。ああ、聖書の話なんだな、と思う。

ちなみに、Godは幼い頃から、同じく外科医の父によって人体実験の素材とされてきたために、感情がどこか欠落している。

家政婦とGod、そしてGodの作り出した部屋だけが全世界であったベラは、Godの助手である外科医見習いの青年、ハリーと出会い、触れ、学びの時間を得る中で、さらに広い世界を見る自由が欲しいと望む。さらに性の目覚めを迎え、人前でも構わず自慰に耽る。彼女は、彼女に恋心を寄せつつもその気持ちをひた隠す青年ではなく、火遊びを唆す二枚目男(まるで禁断の果実を食べるよう唆す蛇のようである)と駆け落ちする。Godはそれを許し、身支度を手伝い、挙句いざというときのために予備の金を持たせる。

ベラの見る世界は、二枚目男の手によって処女を捨てることで初めて色彩を得る。

ベラは彼と、パステルカラーに満ちた地であるリスボンで、牡蠣やエッグタルトといった初めて見る食べ物を貪り、性欲を満たすことに熱中し、音楽に身を任せ、そして暴力というものを目の当たりにする。まだ精神的に未熟なベラの奔放さは、多くの女と関係を持ってきた二枚目男にとって、初め新鮮であり「俺が彼女を成長させてやる」という気持ちにさせられるものであったが、次第に疲れと不安を覚え始める。きっとこの、愛人を他の異性に取られるかもしれないという不安は、かつて彼が気まぐれに手を出した女たちが常に感じていたもので、彼は見て見ぬ振りをしてきたものであるし、「これだから女は……」と軽蔑し忌み嫌ってきたであろうものだから、彼女を責めることはできない。そうすることは、過去の自分を否定することになってしまうから。自分のパートナーが世間からずれているということを許せない二枚目男は、音楽に身を任せて貴重なダンスを踊るベラを、必死に御そうとする。それがまた奇妙で、気がつけば彼がベラに御されているようにも見えて、つい笑ってしまう。嘲笑にも似た笑いである。可哀想なダンカン。

ベラがどこかへ行ってしまうことを恐れた彼は、冒険を求める彼女を満足させると同時に、自分の不安を抑えるために、逃れる場所のない船に乗ってギリシアへ旅しようと考える。船から見えるのは一面の青。悲しみの色。船上で出会ったのは哲学者の老婆と現実主義者の黒人男性。ベラは彼らと出会い自ら成長しようとし、そして実際に成長して知的能力が2枚目男を上回る。ベラの未熟さこそを魅力的に感じていた彼は、もはや彼女に女としての魅力を感じることはできない。ギャンブルと金にひたすら逃げる。

ベラは現実主義者に連れられてアレクサンドリアで一度下船し、貧困や病に喘ぐ弱者を目の当たりにする。ただし彼らを救うための道は閉ざされている。下界と天界とは繋ぐ階段が崩れているのがどこか象徴的だ。彼らが苦しんでいる一方で自分は羽毛のベッドで寝ていることにベラは苦悩し、走り船に戻ったベラは、二枚目男の金をかき集め、乗員に託し、弱者に渡そうとする。まるで自分の金かのように、である。親の金で生きながらボランティアに励んでは賃労働者が社会貢献活動に従事しないことを批判する金持ち大学生のようである。

二枚目男が彼女と共にいる中で得たものは、すっからかんの銀行口座と傷ついた自尊心、そしてそれらによって壊れた精神だけである。一文無しになり真冬のパリで降ろされた2人は路頭に迷い、二枚目男は怒りと混乱でただ立ち尽くすが、ベラは「ちょうどセックスとお金が必要だから」と娼館に足を踏み入れる。そしてフランス男と寝た後、30分で得た15フランでワッフルを買い、「知らない男と寝たことであなたのセックスが世界一だと分かって良かった」と二枚目男にそれを手渡す。彼は「売女は女がやることの中で最も邪悪だ」と怒り狂うが、ベラは「なぜ? あなたは陳腐な言葉であんなにわたしを称賛したのに、わたしが一度知らない男と寝ただけで怒り狂うの?」とどこ吹く風。こうして2人は別れるのである。

皮肉なことに、ベラの心を二枚目男から奪ったのは、彼女が娼館で出会った娼婦の黒人女である。肉体労働の合間に互いを慰め合いながら、ある日黒人女はベラに「このお腹の痕、帝王切開? 子供はどこにいるの?」と尋ねるのである。そこでベラは、自身の秘密の一端に気がつくわけだ。

Godは腹部の腫瘍、癌が原因で衰弱し、日に日に死へと近づく。Godとハリーはベラに「危篤、すぐ帰れ」と手紙を送り、ハリーはベラを迎えに行く。様々な経験と、光景と、知識と、感情と、倫理観と、、つまりありとあらゆる人間らしさを携えて、ロンドンへと戻ったベラは、初めて自身の出生の秘密を知り、そして同時に、父性と真の愛と安心とに気がつく。冒険は終わったのだ。……と思いきや、そうではない。

ハリーとベラの結婚式に、ベラの前世ーー脳みその母、あるいは肉体の元の持ち主ーーの夫が乗り込んでくるのだ。ベラは彼の元へ戻ることを決意する。そしてそこで、暴力的に女を支配しようとする男を目の当たりにし、彼を撃って父のもとに戻ってくる。ベラは元夫を連れて我が家に戻り、彼を「草食系男子」にする特別な手術を執り行う。Godは死ぬが、ベラとハリー、娼館で出会った彼女と家政婦とは、それから末長く幸せに過ごすようである……。

 


まるで「放蕩娘のたとえ」だ。そして、どこまでもキリスト教的価値観を否定したいストーリーテラーにとって、父のもとから離れられないベラも、ハリーも、家政婦も、そのほかGodの世界にとどまる誰も彼も、POOR THINGSなのだろう。神が創った世界の外を知った後も、その神すら死んだ後も、神の創った世界だけに閉じこもり、格差はそのままに、黒人と友人になったことでどこか倒錯した優越と幸福度に浸る人々、ニーチェ後も西洋的価値観の押し付けをやめなかった社会それ自体を、本作は批判しているのではなかろうか。なお、エンドロールに性器のメタファーが散りばめられていたのも印象的だったが、本稿はこのあたりで筆を置こうと思う。