匿名

日記

京都を歩く

春の陽だまりみたいな日だった。京都の街をぶらぶら歩いた。二条から丸太町、それから四条、烏丸のあたりまで。

きっちり並んだ碁盤の目を、まっすぐな辺に沿ってすこしずつすこしずつ訪ね歩く。道ごとに、町ごとに、同じ種類のお店が軒を連ねていることに気づく。着物をつくる家は着物をつくる家同士、薬を売る家は薬を売る家同士、和菓子屋さんは和菓子屋さん同士。祇園祭の山鉾も町ごとに作っていたことをふと思い出す。山鉾を守る町屋は今でも街中にぽつんと残っていて、途端に歴史が奥行きを得る。
「地縁的結合」
かつて教科書で読んだ文字列が目の前に浮かび上がる。

二条城は外国人観光客でごった返していた。露店や屋台も賑わっていて、店主の呼び声は高らかで、大昔の見世棚も、もしかしてこんな感じだったのかなあなんて思った。遠州の作ったお庭には松がすっくと立っている。寒空に青々しい針のような葉が、全体でふわふわとした輪郭を形作っているのをぼんやり眺めながら足を進めると、滝の音にはっとさせられた。池には鯉はいなかった。空の青に池の碧、それから松の蒼に満ち満ちている中で、満開の寒緋桜が眩しい。山茱萸か蝋梅か、黄色い小さな花もかわいらしく、やわらかくて甘い香りを漂わせている。まだ冬の装いの蘇轍をよそに、季節はぐんぐん次へと進んでいるようだった。

本丸は補修中で上がることができなかったけれど、二の丸だけでもお腹いっぱいなくらい。一歩踏み出すたびに床がきいきい鳴るのが面白い。襖絵は部屋ごとに、武家風の堂々たるものから公家風のやわらかで繊細なものまで、お客様用の威厳の満ちたものから家中の者用の質素であたたかいものまで、筆致が違っていた。床の間の漆の種類や天井の高さまでもが、部屋の用途ごとに使い分けられていた。天井絵は大政奉還の折に塗り替えられたらしい。釘隠しの家紋も、いくつかは葵から菊へと替えられたのだという。権威を作り出す装置としての建築。どこかしこで、物静かに、それでいて雄弁に、時の変遷が語られていた。

御所をふらふらしていると、端のほうにある九條家の遺構に辿り着いた。拾翠亭と言うらしい。その名の通り、木々と池とに囲まれた緑豊かな別邸で、借景としている東山の春先の緑も目に眩しい。水屋や小間にまでやわらかな陽光が入ってきて、壁も柱もどこかあたたかい。亭主と客の垣根を取り払うにあたって、こういうやり方もあるんだなあと、なんとなく思った。緑の合間から時折覗く椿の赤に目を奪われる。音も立てずに、翡翠が飛んでいった。

駅の雑踏の奥に見つけた書店に、なんとなく足を踏み入れてみる。地元でよく見るのとは違う書店チェーンは新鮮で、薄くはあれど確実にあるその書店特有の色を見つけると嬉しい。小さなチェーン店に置かれた柄谷行人に驚かされながら、見なかったふりをして哲学書の棚を通り過ぎる。たくさんの書棚の木立の中で、ひっそりと息を潜めるようにして佇む一冊と出会う。秘密を明かしたがっているみたいな装丁に心惹かれて表紙を捲ると、聞き覚えのない作者名と出版社名。どうしてもこの秘密を所有したくて、荷物が増えることも忘れて、気がつけばレジに向かっていた。物珍しい舶来品かのように鞄の奥底にしまい込んで、ほくほくした顔で帰りの新幹線乗り場へと歩き始めた。