匿名

日記

2024.02について

二月が終わってしまった。閏日も大したことはしなかった。閏日なんてもともとないはずの一日なんだから、大したことをしない方が本来的な過ごし方なのかもしれないけれど。

今月はあんまり読書できなかったことが少し残念。梓澤要の「華のかけはし」を読んで、改めて江戸時代の天皇のあり方に興味が湧いたので、藤田覚の「江戸時代の天皇」を軽く読み直すなどしていた。それから、少しずつ読み進めている京極堂シリーズから「邪魅の雫」も。複雑な意図を解きほぐすように頁をたぐるのが面白い。最後のほろ苦さ、切なさにかき消されそうになりながらも確実に存在していた、一欠片の掠れゆく甘さが、このシリーズにしては珍しい気がして好きだった。トールキン作品に手を出すことができたのは本当によかった。ありがとう、きっかけをくれたひと。

本阿弥光悦展や和食展のため上野に月に二度も足を運んだのは、私にしては珍しいことだった。上野はいつ行っても活気がある。子供も老人もわんさかいる。噴水があるのが嬉しい。光悦の筆遣いには素直にため息が漏れた。博物館に行くと、大抵半日は薄暗い室内に閉じこもることになるから、展示を巡り終えた後の屋外はいつもよりも気持ち良く感じる。一番寒い季節のきりっと締まった空気と高い空は、一層嬉しい。

今月何より嬉しかったのは、大好きな「紅の豚」をスクリーンで鑑賞できたこと。まだこの空のどこかを豚が飛んでいるのかもしれない。同じように劇場で観た「哀れなるものたち」はすごく変だったけれど、聖書の要素が至る所に散りばめられていた気がして、楽しかった。小説の方も読みたい。「カラーパープル」は初めから終わりまで涙が止まらなかった。自分にも妹がいるからかもしれない。愛の形は決して性愛の一つだけじゃないよなって、素直にそう思えた。家ではいくつかのアメコミ作品に触れて、アメコミにはDCとマーベルとがあることを知ることができて、大きな飛躍という感じ。

日本酒やウイスキーを程よく飲んで、ほろ酔いの中でふわふわぽかぽかしながら、冬の夜の散歩をした。ほんの数駅歩いただけだけれど。冬はあんまり得意じゃない。でも、息が白くなることと、隣にいるひとの体温が輪郭がはっきり伝わってくることは、好き。意味のある話や意味のない話の隙間に、恋の始まりが垣間見える瞬間はすごく嬉しい。さっき食べた焼き鳥が美味しかったこと(塩麹で味付けしてあるのが美味しかった)とか、〆のパフェが不思議な取り合わせで口の中が楽しかったこと(日本酒フレーバーのジェラートに梅酒フレーバーのジュレに鶯豆に苺に、甘味と酸味と色々な風味との渋滞というかハーモニーだった)とか、最近飲んだ日本酒の中でどれが一番好きだったか(私は而今が好きだった)とか、さっき渡したチョコのこととか。恋人に求める一番の条件とか、恋の自分なりの定義とか、そういう価値観の些細な一致を喜び合うこととか、言葉もなくただ視線を感じることとか。何度も何度も通ってきた馴染みの道が、また新しい誰かと、新しい思い出と、言葉とで彩られていく。こうやって私は、いろんな思い出を上書きしながら生きていくのかなと思って、でも一度あったことを忘れることなんてできないと思い直して、蜘蛛の巣みたいに思い出と思い出とが結びついて絡み合ってもう自分でも解きほぐせないぐらいに複雑になって、そうやって私という人間が出来上がっていくのかもな、なんて思った。そういえば、蜘蛛の巣がテーマのアメコミ映画がそろそろ封切りらしい。誰か誘って観に行こうかな、なんて、しらを切ってみる。