匿名

日記

くだらないこと

ものすごく身も蓋もない説だからわたしはこの考えが嫌いだけどお風呂に入ってるときにふと思いついたから残しておきます。

 

愛とは生物の遺伝子上に組み込まれた自己防衛の手段の1つなのではなかろうか。親子愛はひとえに自分の遺伝子を残すためであり、恋人への愛は種を残すためであり、友に対する愛はストレスの多い環境下で自分を認め癒すため且つ敵の多いこの社会で同じ思想の者同士集って自己防衛するためである。

どんなにろくでなしな相手に対する愛だとしても、そこに何かしらの見返りが発生するから人は愛を抱くのである。

誰もを愛する者がいたとする。なぜ皆を愛するのかと言えばその見返りに「聖人」の名を我が物にすることができるからだという考えは邪推であろうか。

いささかこの説は性悪説に基づきすぎているかもしれない。そもそもこの議論をするには、愛とは何かを定義づける必要がある。よってこの説は無効!!