匿名

日記

アセチルコリン

湯船に浸かるならまだ日も暮れないほどの時間帯が良い。人の活動する空気を感じながら怠惰に浸かるのが良い。

深夜の誰もが寝静まった時間に浸かるぬるい湯が一番良くない。体温程度の湯はアセチルコリンの分泌を促し身体の動きを抑制する。上がるのが億劫になりだらだらと湯が水になるのを待つことになる。

江國香織の小説はそういう、何か漠然とした気持ちに潰れそうになりながら読むのが良い。陳腐な表現をするならば、一人の寂しさの中で読むからこそ人物の息吹を身近に感じることができる。

寂しさとか不安感などという数文字の言葉でこの重石の感覚が伝わるはずはないのだ。痛みとも甘さともつかないこの澱は夜が深くなるほどに明確な輪郭を持ち始める。そうなる前に床につかないと、とわかっているのにどうしてもその淵に沈みたがる自分がいる。生を悲観し世を憂い空が落ちるのを案じるようなある種古い漢詩のような感情に浸るのは快感とさえ言える。