匿名

日記

「千と千尋の神隠し」を劇場で見て思ったこと

はじめ、千尋はひとりで立てないでいる。

トンネルを通り抜けるときはお母さんの腕を、初めての夜を迎えたときにはハクの腕を掴み、釜爺のボイラー室に行くときにも足がすくんで階段にしがみついている。

でも、だんだん手を離して歩く時間が増える。

そして最後は、ひとりで橋を渡り、湯婆婆のところへ自分の足で歩いていく。ここは最初の場面、息を止めた千尋がハクと共に橋を渡る場面と対照的に描かれているし、直前の、坊がひとりで立てるようになった場面からも暗示されていると思う。

帰りのトンネルをくぐり抜けたあとの千尋の表情は始まりの場面とは打って変わってキリッとしていて、直後に銭婆の編んでくれたヘアゴムが光を反射し、千尋は魔法に頼らずに自力で自分を変えたんだと気づく。

トンネルを通り抜ける場面では最初と同じようにお母さんの腕に掴まり、お父さんは最初と同じように「足元に気を付けろ」と注意をする。千尋はきっとあの世界でのことを完全には思い出せなくなっているのだ。でも、銭婆が言っていたように、「一度起こったことは忘れない、思い出せないだけ」なのだ。

きっと千尋の意識の奥底には、ひとりで歩ける強さがひっそりと根付いているに違いない。

(エンドロールは千尋の記憶の切れ端ではないかと思う。ちひろはのちの人生で定期的にあの景色をどこかにふっと見出すのだ。思い出せない記憶は割れた鏡のようで、心は過去に映した景色を散り散りに思い出すのだ。)

 

 

 

 

ハクは油屋に来た際「魔法使いになりたい」と言って湯婆婆の弟子となったが、きっとそのときには魔法は最後には何も遺さないということを知らなかったのだろう。

でも、ハクはそれに気づくことができた。過去に "魔法に頼らずに" 救った相手である千尋が呪いを解いて、名を取り戻してくれたから。

そして魔法が何も遺さないことを知れたのだ。

呪いが解け、名を取り戻したハクは、もう大丈夫。わたしはそう思う。

 

 

 

 

カオナシの欠点は、自分の声で自分の意思を伝えられないところだった。

他者の声を借りなければ意思を形にできない。

でもそれでは本当の思いは伝わらない。

また、声が大きくなればなるほど周囲に及ぼす影響は増し、ついでに与える害も大きくなってゆく。

適切な声量で、自分の声で、伝えることが大事なんだと思う。

また、カオナシは他の "黒い半透明の人々" と違って完全に他人に依存して生きている。すごく辛そうに見える。

他の "黒い半透明の人々" は、暗いながらも穏やかに、自分の顔を持ち、静かにあの街に息づいているのだ。それがその瞬間の彼らの居場所なのだろう。カオナシだけが、自分のいま居るべき場所を見つけられずにいたのだ。最後にはいるべき場所を見つけ、穏やかで慎ましい幸せを手にする。

千尋も、始めの場面では家庭内に窮屈な居場所しかなかったのだと思う。

元の世界に戻ってからも両親は変わらないはずだ。しかしいまの千尋には自分の居場所を自分で作り見つけ出す能力がある。元の世界もきっと、今までとは違うものになっているはずだ。

 

 

 

 

"黒い半透明の人々" にもいくつかの形態があって、川から這い上がってきて油屋の手前の街にいるゆらゆらとした形の者もあれば、何となく人間らしい形で電車に乗り大荷物を抱えて駅に消えていく者もある。

そして彼らは、この物語に出てくるキャラクターの中で、唯一足音を持たないのだ。

これは自論だが、物語において足音は、その存在の確実性を表しているのではなかろうか。

我々がいま住うこちらの世界では神々の足音を聞くことができない。こちらの世界は我々のためのものなのだ。

一方あの世界は八百万の神様のためのものである。だから神様方には特徴的な足音がある。

ハクや千尋やリンにも足音があるが、神々ほどはっきりとした特徴的な音ではない。彼ら彼女らは、いまは確実にその世界に存在しているが、本来住まうべき場所は別にあるのではないか。

そしてカオナシや "黒い半透明の人々" にとってあの世界は仮住いの場所であるはずだ。彼らは死者の魂で、だからいつかは生まれ変わる。

海上を走るあの電車は、神々の世界と我々の世界、言い換えるならばあの世とこの世を結ぶものなのだろう。

釜爺が「昔は帰りの電車もあった」と言っている。きっといまよりもずっと昔には、あの世とこの世がすごく密接だったのだと思う。

いまでは死んだこの世からあの世へ向かうのも、あの世からこの世に生まれ変わるのも、神でない我々には一方通行である。

行き来できるのも一方通行なのも、どちらが良いとか悪いとかそういうことではなく、ただそういうことなだけで、でもそれがハクの運命を変えたのだった。

神様の悪戯か、世界にはたびたびそういうことがあるのだ。