匿名

日記

夏の終わり

夏の終わりの夕立が迫っていたので、犬の散歩を足早に切り上げた。帰ったらすぐにパスタとポトフを作ろうと思っていたのに、軽い低血糖を感じて、急いで何か軽く食べることにした。冷蔵庫を開けると、賞味期限切れのチーズアソート、ほんの少しだけ残ったコンビニの安ワイン、買ったばかりの牛乳、ポトフにされるのを待つ人参玉ねぎじゃがいもなどなど。震える手でなんとか冷蔵庫の戸を閉めたところで、貰い物の豆菓子が少し残っていたのを思い出す。どうにか湯を沸かして緑茶を淹れ、菓子を皿に移し、読みさしの本をセッティングしたところで力尽きた。こんなときにまでティータイムを演出したがる自分に軽くうんざりしながら、どうにか腕を持ち上げて梅かおる豆菓子を口に運ぶ。まず口に広がる塩味と、噛めば噛むほど増す小麦由来の甘みと、豆の香りが幸せを連れてくる。命のために必死に食べ始めたのに、食べ始めると幸福につながって、なんだかわたしはちょろいなあと思ったり、いやしかし豆菓子の実力がすごいのだと何かに対して言い訳してみたり、する。

雷が鳴り始めた。早めに帰ってきて正解だった。夏の終わりは、陽が落ちてすぐの深い青の空がやってくるのが早くなってきて、少し切ないけれどその清涼感は嫌いじゃない。読みさしの本がクライマックスに差し掛かるときの気持ちと、少し似ているかもしれない。似ていないかもしれないけど。終わってほしい気持ちと、終わってほしくない気持ちのごちゃまぜになった感じ。今年の夏は海に始まり海に終わった。というと少し説明不足で、去年の暮れに引っ越したものだから、今年は生まれて初めて海から離れたところで夏を過ごしたのだった。それで、夏の始まりと終わりに海沿いの街を訪れたのがより印象的なものとなった。江ノ島と、熱海。日常から遠いものになってしまった海なので、これまでよりも注意深く観察してみたところ、岩を打つ波と沖合をのんびりたゆたう波とが同じものとは思えなくて、それでも同じものなんだという事実が、よかった。

好きな人と過ごす夏というものは初めてだったので、どうにかこうにか(というほど波瀾万丈だったわけではないけれど)一夏を越せたことへの安心感と、もうすでにほんのちょっぴりの懐かしさなんかを感じていて、そういうことに夏の終わりを実感する。来年もこんなふうであってほしいな、と思う。まるっきり同じでなくても良いけれど。どんな波も波であるように、激しくたって穏やかだって、おんなじ言葉で言い表せる関係性でありたい。