匿名

日記

第一章のあとがきに代えて

恋人という役割の不在はかつて恋人であったひとの永遠の不在を意味するわけではないのだけれど、ついそんなふうに誤認してしまうのが、恋人という役割の特殊性なのだと思う。

狂おしいほどの愛おしさを持て余す生活の、ぽっかりと穴が空いたかのような感覚を味わうのは初めてではなくて、だから久々の感覚に再会かのような懐かしさすら覚えている。久しぶりだね。またしばらくよろしく。

きっとこういう生活は最後でもないのだろう。今後の人生においても少なくとも一度、かつて恋人であったひととの真の死別の際にはまたこれを味わわねばならないと思うと解脱したくもなるが、実のところ涙に暮れる日々というのはそう何度も味わえるものでもないので、その毒々しいまでの甘美さを最後の一滴まで飲み干そうと思う。

昨日まで記憶を反芻する度に胃液みたいな雫が分泌されていたけれど、ひとまずだいたいの消化は済んだようである。二人のことでこびりついて離れない記憶は無数にあるが、なぜかただ横を歩いていただけの瞬間が一等星のように浮かび上がってくる。その全てを繋ぎ合わせても、傍目にはしょぼいイルミネーションのかみのけ座にしか見えないのかもしれないが、そのくらいの恋でいい。怖気付かずに済む。

穏やかな内海を泳ぐだとか、小春日和に吹く風に逆らって走るだとか、そういう気分の日々だった。思い返せばこの一年、真にそのひとの不在を感じたことはなくて、物理的距離にかかわらず常に愛の息遣いを耳元で感じていた。気づけば愛されている実感を植え付けられていた。あなたはわたしとの出会いを画期だと呼んだ。わたしはそれを福音と呼びたい。