匿名

日記

第二章の序文に代えて

ディズニーリゾートにまだ見ぬ我が子を連れて来たいと思うとき、人はひとつ大人の階段を上がるんじゃないかと思う。愛のバリエーションを増やした証拠なのだと思う。

愛にはいくつかの種類があると言うが、そのうちの複数をたった一人に抱くことはあるのだろうか。ルダスに始まり、エロスを経て、フィラウティアを学び、マニアを経由してフィリアに至る。プラグマの末にストルゲーを覚える。そんな人に出会えたとして、これを運命と言わずにいられるだろうか。

運命なんていう陳腐な言葉を口にするとは我ながら意外で、少し苦笑すらしてしまう。苦笑しながらも幸福を噛み締めてしまうところに、自分の捻くれた部分と素直な部分の境目を見つける。見つけて、そこから目を逸らすことなく、あるいはそんな自分を嫌悪することなく、真っ直ぐに見つめてそれもまた一興と微笑める自分は、随分と大人になったことに気付く。

ほとんど初めて、周囲の反対を押し切って一つの決断を下した。失敗でも良いと思った。何も死ぬわけではあるまい。失敗しても死に走らずに済むレジリエンスというか、自己肯定感というか、そういうものを今は持っているから。気付かせてくれる人がいたから。保険のようなお守りのような、そういうものが今はあるから。

世の中には、愛することが得意な人と愛されることが得意な人とがいるような気がする。そして自分は前者であると感じる。これからも愛を注がせてくれる人がいるのだとしたら、今すぐにでなくとも人生の終わりにはそうさせてくれる人がいるのだとしたら、あなたへの愛してるよ、の一言を以て締めの言葉とすると共に、感謝の意を表したい。