匿名

日記

思いやり

馴染みの駅の階段を、ホームの方へと降ってゆく。政治家の訃報を耳にし、「とうとうこんな国になってしまった」という人々の反応を目の当たりにし、私はその「こんな国」に住んでいるんだなあとぼんやり考えた。

草刈機の音が聞こえる。草の匂いがぷうんとかおる。曇りの日は、晴れの日や雨の日よりも、匂いや気持ちが濃く感じられると私は思っている。だから、嬉しい日が曇りだとそれはもうとっても嬉しいのだけど、なんとなく沈んでしまうような日が曇りだと、最悪なのだった。

刈られてゆく草に思いを馳せながら、あるいは撃たれた人のことを考えながら、私は死について考えていた。陰鬱な気分。とはいえ、いつものように背筋は伸ばし、胸を張り、自分が一番美しく見える姿勢は崩さなかった。この日の私は、私を一番綺麗に見せてくれるコーデに身を包んでいたから。コバルトブルーのノースリーブリブニットに、黒のマーメイドスカート。階段を降りながら、大学生らしい男の子と目が合う。すれ違う瞬間、彼の視界が私一色になったのを私は見逃さなかったし、そしてそれは当然だと思った。

それでも、彼が声をかけてきたのには驚いた。私はホームをずんずん進んでいたし、死について考えている人に特有の表情を浮かべていたに違いないし、何よりイヤホンをしていたのだ(有線のイヤホンは、その存在がよく見えるからナンパ避けにはちょうどいい)。

「連絡先を教えてもらえませんか」
顔を赤くしている彼は、私にそう言った。どう見たってナンパ慣れしていなさそうなその姿に好感を抱いた私は、あえて怪訝そうな顔をしていくつか質問を投げかける。そして、いかにも「やっと警戒が解けてきましたよ」みたいな顔をして、その申し出に応じたのだった。その時にはもう、元総理のことは忘れていた。

世の中にあるのは、わかりやすい思いやりだけじゃないと思う。きっと、ナンパ慣れしていない彼のナンパは普通思いやりとは呼ばれない類のものだろうし、むしろ迷惑行為に分類されるかもしれない。それでもその時の私にとって、あれは紛れもなく思いやりだった。「思いやり」の辞書的な意味は「相手に立場に立って物事を考えること」らしいが、相手の立場に立ったつもりが自分のエゴを押し付けているに過ぎないことだって山ほどある(例えば千羽鶴とか。そしてそれが思いやりになることだってないわけじゃない)。私は「思いやり」を「自分にとってありがたいと思える行為」だと思う。だから、彼のナンパは私にとっては思いやりなのだ。電車の中で青い顔をして蹲る私にロマンスグレーのおじさまが席を譲るのと、沈んだ面持ちの私に顔を赤らめている学生風の男の子が連絡先を聞くのも、行為の受け手たる私が思いやりだと思ったら、それはもう、紛れのない思いやりなのだ。